ある特殊な共同体が生まれた場合、例えばそこでは
男尊女卑が当たり前になり、女性もその非常識を常識
だと勘違いしてしまう。
これはオウム真理教でも、「HANADA」のような
エセ保守言論世間でも、起こり得る現象である。
彼ら彼女らは、その特殊な共同体でのみ流通する非常識を、
客観的には把握できなくなるのだ。
今回の民事裁判で、伊藤詩織氏の勝訴という結果が出たら、
普通のメディアでは一斉に、伊藤氏への評価と、山口敬之
への疑惑と嫌悪感で語られている。
これこそは庶民感覚であり、もともと、この事件の真相を
人々は悟っていたからに過ぎない。
誰もが伊藤詩織氏が被害者だと思っていたのだ。
それが国民の常識的なバランス感覚なのである。
たとえ控訴審で反対の結論が出たとしても、国民は内心で
納得することはない。
「HANADA」やネトウヨどもが行ってきた伊藤詩織氏に
対するセカンドレイプは、完全な非常識だった。
花田紀凱は感性が劣化して、オウム真理教を評価していた
宗教学者と同レベルになっている。
今回の伊藤氏の勝訴以降のメディアは、国民の常識の回復
であり、山口敬之や小川榮太郎や杉田水脈らは、常識の海
に沈められた。当然の報いである。
オウム真理教の末路と同じなのだ。
それが分かるかどうかが「保守」の条件である。
「HANADA」に巣食う男尊女卑の連中は、全然、「保守」
ではない!